科学者たちが自分たちで研究費を稼いだ話2009年11月19日 14時16分58秒

アクセスランキング21位!ありがとうございます.

さて,「事業仕分け」に関連しまして少し書きます.現在の日本では,大型プロジェクトの研究費は国からの補助を得ないと勧められない状況にあります.少し前ですとすばる望遠鏡は400億円もの予算を国が投じて建設しました.これから国家プロジェクトとして進めようとしている原子力,宇宙開発の研究も巨額の予算が必要と去れ,国からの補助がないと進められないというところです.先日も書きましたが「予算1割減」で進展が一からゼロになるというのが大型プロジェクトです.研究者にとっては困った状況にあります.
「それならば,自分たちで予算を稼いでくればいいではないか.」とお思いの方もいらっしゃいますが,なかなか難しい話です.基礎研究ではまず収入は得られませんし,応用研究でも産業界への移転では特許料+αがせいぜいです.それでは,研究成果で自分たちの研究予算を獲得した例はないのでしょうか.
実際は戦前の日本にありました.理化学研究所がそうです.戦前の沿革をご覧になると分かりますが,彼らは研究成果を事業化しました.現在の産学連携の話と異なるのは,自分たちで挙げた研究成果を,理研自身が興した会社で実用化したという点です.権利の分配の事を考えなくて済む訳で,研究開発から事業化までの全てを理化学研究所が関わる事により,知的財産による利益を独占できます.「脚気の特効薬」として爆発的に売れた理研ビタミンがきっかけで急成長し,終戦時には理化学興業は財閥の一角をなすほどに拡大しました.例えばリコー協和発酵が産業団に含まれていたと考えれば,得られた利益が巨額なものと分かるでしょう.巨額の特許収入により,理化学研究所は研究者の楽園と呼ばれるほど,研究者たちがのびのびと研究を進めました.湯川秀樹や朝永振一郎も,仁科芳雄研究室で研究に取り組みました.
ところが終戦後,理化学興業はGHQにより財閥とみなされ,解体されました.また,事業化を進め研究者の楽園を築いた大河内正敏所長は,公職追放の憂き目に遭います.さらに,仁科芳雄が心血を注いだ大サイクロトロンは,「原爆製造のための機器」とGHQに誤解され,解体され東京湾に沈められました.現在では理化学研究所の研究部門のみが残り,特殊法人化,そして独立法人化されました.生産部門は解体され,各々が独立した企業として現在に至っています.他の財閥系企業とは異なり,繋がりはほとんど無いようです.
現在,大学や研究所で知的財産の維持,特許取得が叫ばれていますが,戦前の理化学研究所の様な研究所は,二度と現れないのではと思います.
戦前の理化学研究所については,栄光なき天才たち (4) (集英社文庫―コミック版)が分かりやすいと思います.あるいは理研コンツェルンの誕生にも出ています.