Rutherford,原子核を発見2008年12月23日 22時13分01秒

UK-JAPAN2008のクリスマス企画で書いている記事の続きです.ラザフォードの話を続けます.
1907年にマンチェスター大学教授に着任します.着任早々,ガイガーと共同で放射性元素から放出されるアルファ粒子を数える事に成功します.この原理は後にガイガー・ミュラーカウンターと呼ばれる,放射線を検出する装置として実用化されます.
1908年に,マギル大学在籍時に行った「元素の崩壊および放射性物質の性質に関する研究」によりノーベル化学賞を受賞します.物理学者なのに化学賞とはちょっと変に思うかもしれません。受賞の際のスピーチで自身も「物理学者が一瞬にして化学者に変換した」とユーモアを交えて話したそうです.
その後、アルファ線がヘリウム原子核である事を発見したり、放射性元素が最終的に鉛に変換する事を発見します.しかし物理学を学ぶものにとって,ラザフォードと聞いて一番有名なものは,ラザフォード散乱ではないでしょうか.これは,ガイガーとマースデンを共同研究者として,金箔にアルファ線を透過させる実験です.
原子がどのように出来ているかは,当時は未解明でした.実験でアルファ線を薄い金箔に当てると,ほとんどのものが通り抜けてしまいます.これは,金箔を構成している金の原子が,中身が詰まったものではなくすかすかである事を示します.そして,ごく一部のアルファ粒子は大きく方向を曲げられて飛んでいきます.跳ね返されるものも,ごく稀にありました.そこでこの結果から,原子は中がすかすかで,中心に原子核があると解釈されました.この結果に基づき,原子模型を発表します.このアルファ粒子の散乱の計算が,ラザフォード散乱と呼ばれ,大学での電磁気学,量子力学の計算問題としておなじみな訳です.
1914年,ナイトに叙せられます.その後,師匠のJ.J.トムソンの後を継いで,1917年にキャベンディッシュ研究所の所長となります.所長になった後も研究を続け,1919年には窒素原子にアルファ線を衝突させて原子核の人工変換に成功します.1925年に王立協会会長,1931年に男爵に叙せられるなど,栄光のうちに生涯を終えました.
なお,ラザフォードの名は1969年に作成された104番元素にラザホージウムと名付けられ,遺されています.

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://astrolink.asablo.jp/blog/2008/12/23/4024512/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。