原子核物理の父,Rutherford2008年12月23日 22時12分19秒

UK-JAPAN2008のクリスマス企画ということで,イギリスの物理学者を取り上げています.今回は昨日のチャドウィックの話に出てきた,ラザフォード(Ernest Rutherford,1871〜1937年)を取り上げます.ラザフォードは原子核物理学の父といっても過言ではない業績を挙げた物理学者です.
生まれたのはニュージーランドで,1889年にニュージーランドのカンタベリー大学に入学します.大学院生の頃,ヘルツが電磁波の存在を確認する実験を行っており,これに触発されて電磁波を検出する装置を作ります.1893年に修士号を取得しますが,このころになり物理学に目覚めたようで,今まで紹介した方々の様に早熟ではなかったようです.
修士修了後にニュージーランドの奨学金に採用され,ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所の研究員となります.当時の所長のJ.J.トムソンのもとで,この頃発見されたばかりのX線を用いて,空気の電気伝導の研究を行いました.
1898年にラザフォードはまず,大きな発見をします.ウランから放射線が出ているのですが,この放射線は2種類あるという事を指摘し,アルファ線,ベータ線と名付けます.翌年には放射線をアルミ箔に透過させ,アルファ線とベータ線を分離します.両者は質量が大きく(7000倍程度)異なるため,重いアルファ線は透過しにくい訳です.
1898年にカナダのマギル (McGill) 大学教授に着任.この時,後にノーベル化学賞を受賞するソディ(Fredrik Soddy)が助手を務め,放射性元素が互いに変化する事を考え始めます.また,この頃に放射性元素が放射線を出して別の元素に変わるという事で,半分の元素が置き換わる半減期を考えたようです.これらの研究をまとめ,1902年に元素が放射線を放出し,別の元素に変わるという説を発表します.
これらの研究が認められ,1903年に王立協会会員となります.

Rutherford,原子核を発見2008年12月23日 22時13分01秒

UK-JAPAN2008のクリスマス企画で書いている記事の続きです.ラザフォードの話を続けます.
1907年にマンチェスター大学教授に着任します.着任早々,ガイガーと共同で放射性元素から放出されるアルファ粒子を数える事に成功します.この原理は後にガイガー・ミュラーカウンターと呼ばれる,放射線を検出する装置として実用化されます.
1908年に,マギル大学在籍時に行った「元素の崩壊および放射性物質の性質に関する研究」によりノーベル化学賞を受賞します.物理学者なのに化学賞とはちょっと変に思うかもしれません。受賞の際のスピーチで自身も「物理学者が一瞬にして化学者に変換した」とユーモアを交えて話したそうです.
その後、アルファ線がヘリウム原子核である事を発見したり、放射性元素が最終的に鉛に変換する事を発見します.しかし物理学を学ぶものにとって,ラザフォードと聞いて一番有名なものは,ラザフォード散乱ではないでしょうか.これは,ガイガーとマースデンを共同研究者として,金箔にアルファ線を透過させる実験です.
原子がどのように出来ているかは,当時は未解明でした.実験でアルファ線を薄い金箔に当てると,ほとんどのものが通り抜けてしまいます.これは,金箔を構成している金の原子が,中身が詰まったものではなくすかすかである事を示します.そして,ごく一部のアルファ粒子は大きく方向を曲げられて飛んでいきます.跳ね返されるものも,ごく稀にありました.そこでこの結果から,原子は中がすかすかで,中心に原子核があると解釈されました.この結果に基づき,原子模型を発表します.このアルファ粒子の散乱の計算が,ラザフォード散乱と呼ばれ,大学での電磁気学,量子力学の計算問題としておなじみな訳です.
1914年,ナイトに叙せられます.その後,師匠のJ.J.トムソンの後を継いで,1917年にキャベンディッシュ研究所の所長となります.所長になった後も研究を続け,1919年には窒素原子にアルファ線を衝突させて原子核の人工変換に成功します.1925年に王立協会会長,1931年に男爵に叙せられるなど,栄光のうちに生涯を終えました.
なお,ラザフォードの名は1969年に作成された104番元素にラザホージウムと名付けられ,遺されています.

Cavendish 研究所とは?2008年12月23日 22時26分41秒

UK-JAPAN2008のクリスマス企画で書いているイギリスの物理学者の話ですが,キャベンディッシュ(Cavendish)研究所が時々出てきます.いったい,どういう研究所なのでしょう.
この研究所はケンブリッジ大学に所属する研究所です.キャベンディッシュは膨大な研究業績を残した18世紀の物理学者ですが,生前にその成果をあまり発表しませんでした.死後にその業績が高く評価され,1871年に記念して作られた研究所がキャベンディッシュ研究所です.
初代所長はマクスウェル(Maxwell)で,大変優れた物理学者でしたが,キャベンディッシュの遺構の整理のために寿命を縮めたのではと言われています。それほどまでにキャベンディッシュの成果が膨大で優れたものだったようです.これらの方々の話は,後日執筆します.
この研究所が輩出した研究者は今までに紹介したラザフォード,ブラッグ,チャドウィックの他にも,コンプトン、コッククロフと,ヒューイッシュ,カピッツァなどの物理学者,DNAの二重螺旋構造を発見したワトソン,クリックなど29名です.世界に冠たる研究所の一つといって過言ではないでしょう.