Thomson 改め Kelvin卿2008年12月29日 20時07分21秒

UK-JAPAN2008のクリスマス企画で書いているイギリスの物理学者の話です.今日はケルビン(Lord Kelvin,1824〜1907年)です.本名はウィリアム・トムソン(William Thomson)ですが,後に男爵に叙せられたことから,ケルビン卿として知られています.
父のジェームスは,大学の数学教授でした.幼い頃より父から兄とともに家庭で教育を受けており,兄のジェームズ・トムソンは水の三重点などを発見しています.8歳の時に父はグラスゴー大学へ赴任しますが,その2年後にわずか10歳でグラスゴー大学に入学します.そして大学図書館から借りたフーリエの『熱の解析的理論』を2週間で読破したといわれています.
グラスゴー大学を卒業後に17歳でケンブリッジ大学に入学し,次席で卒業.22歳で母校のグラスゴー大学に教授として赴任します.ケンブリッジ大学在学中の1842年から独自の研究を行っています.そこでは古典物理学の様々な領域にわたる新発見の連続でした.また,生涯に執筆した論文は400篇以上といわれています.主な論文,データベースで見つかった文献を挙げてみます.
  • 1841年 "On Fourier's expansions of functions in trigonometric series"
    Cambridge Mathematical Journal 2, 258-259
  • 1841年 "Note on a passage in Fourier's 'Heat'"
    Cambridge Mathematical Journal 3, 25-27
  • 1842年 "On the uniform motion of heat and its connection with the mathematical theory of electricity"
    Cambridge Mathematical Journal 3, 71-84
  • 1848年 "On an absolute thermometric scale founded on Carnot's theory of the motive power of heat, and calculated from Regnault's observations"
    Math. and Phys. Papers vol. 1, pp100-106
  • 1851年 "On the dynamical theory of heat; with numerical results deduced from Mr. Joule's equivalent of a thermal unit and M. Regnault's observations on steam"
    Math. and Phys. Papers vol.1, pp175-183
  • 1853年 "On the dynamical theory of heat"
  • 1854年 "On the theory of the electric telegraph"
    Math. and Phys. Papers vol.2, p.61
  • 1869年 "On vortex motion"
  • 1871年 "On the equilibrium of vapour at a curved surface of liquid"
  • 1874年 "Kinetic theory of the dissipation of energy"
ところで,最初の頃の論文は P. Q. R. という不思議なペンネームで書かれています.最初の頃の業績は,フーリエの熱力学のアイディアを擁護するものでした.当時,フーリエは厳しい批判に曝されていたようで,フーリエを支持するために実名でなくペンネームにしたのかもしれません.
その後,ファラデーの電磁誘導のアイディアを拡張する研究にも取り組みました.この時,電磁誘導を数学的に表す事を考えており,これは後に電磁場として認識され,マクスウェルが電磁気学を体系づける際の重要な示唆を与えています.また,ファラデーが発見した物質の常磁性と反磁性に関する研究を行い,磁石のもつ全エネルギーを表す式を導いています。
一方で熱力学でも重要な研究を行っています.当時,カルノーは温度は『熱素』という粒子の増減で変わると主張し,一方でジュールは「熱はエネルギーの一形態である」と主張していました.トムソンは1847年,熱と力学的な仕事の相互の転換性を支持し,1848年には「温度が物体中のエネルギー量を表す」というアイディアを発表します.この温度というのは,下限に対する温度という意味で,摂氏温度ではなく絶対温度です.現在ではこの考えを提案した事にちなんで,絶対温度はケルビン(K)という単位がつけられています.その後,1851年に「熱を全て仕事に変換する事が出来ない」という,現在では熱力学第二法則として知られる原理を発表し,カルノーの理論とジュールの理論に矛盾が生じない事を示しました.1852年にはジュールと共同で,「高圧の気体を膨張させると,温度が下がる」というジュール・トムソン効果を示す実験を行っています.

19世紀の物理学を覆う雲と Kelvin2008年12月29日 20時08分17秒

UK-JAPAN2008のクリスマス企画で書いているイギリスの物理学者の話の続きです.ケルビン(Lord Kelvin,1824〜1907年)の電磁気学,熱力学の業績を挙げてきました.
ケルビンの業績はそれだけに留まりませんでした.物理学者としてではなく技術者としても一流でした.19世紀の半ばには,遠距離の通信として電信が普及してきていました.1854年,ストークスは大西洋を横断させる海底電信ケーブルの敷設を提案し,これに関連するファアデーの実験についてトムソンに意見を求めました.そして,トムソンは現在でいうところの帯域幅問題を解決しました.1856年にトムソンは電信会社の取締役に選ばれ,紆余曲折を経て1866年に電信ケーブルの敷設に成功します.この功績でナイトに除せられます.
その後も1890年に王立協会会長に就任,1892年に男爵に叙せられます.この時,トムソンはケルビン卿となります。電磁気学,熱力学,流体力学,さらには地球物理学,通信の分野で幅広い活躍をしていましたが,晩年になって新しい物理学,科学技術が展開しようというところでは,未来の予測が難しかったようです.X線の発見に懐疑的だったり,気球や飛行機は成功しないと述べたりしていました.ただ,1900年に行った講演(The London, Edinburgh and Dublin Philosophical Magazine and Journal of Science, Series 6, volume 2, page 1 (1901) に収録)では,黒体輻射マイケルソン・モーレーの実験についてが説明できていないと述べています.これこそが,前者は量子力学,後者は特殊相対論の発展の重要なポイントとなっているのです.