Eddington vs Chandrasekhar2008年12月30日 16時01分16秒

UK-JAPAN2008のクリスマス企画で書いているイギリスの物理学者の話です.今日はアーサー・エディントン(Sir Arthur Stanley Eddington,1882~1944年)ですが,実は物理的大発見に対してかなり厳しい評価をしています.
第一次大戦が終わる頃には,既にエディントンは大家となっていました.エディントンのもとに,当時統治下にあったインドから若者がやってきます.彼の名はチャンドラセカール(Subramanyan Chandrasekhar,1910〜1995年).彼は当時の最先端の理論であった量子統計(フェルミ・ディラック統計)を用いて星の最期を考えました.まず,量子統計では電子が同じ状態に入る事が出来ず,排除しようとする圧力(縮退圧)が働きます.燃え尽きた星が自身を支えるには,この縮退圧で自身の重力を支えなければなりません.この縮退圧で支えきれる星の質量の限界を,チャンドラセカールは 1931年に提唱していました.この限界の質量は,チャンドラセカール限界(あるいはチャンドラセカール質量)と呼ばれています.
この研究成果について,エディントンはかなり批判的でした.チャンドラセカールが用いた議論では,特殊相対論に基づくところとそうでないところがあり,全てを特殊相対論的に考えていないと,徹底的に批判したそうです(この辺りの話は Physics Today に詳しい記事があります).
また,星が最終的には重力で限りなく潰れていってしまう(ブラックホールになる)こともチャンドラセカールは考えましたが,エディントンはその考え方も受け入れられなかったようです.チャンドラセカールは新たなチャンスを求めて1937年にイギリスを去り,アメリカに移住します.後にチャンドラセカールは星の構造と進化に関する研究で,1983年にノーベル物理学賞を受賞します.
大家といえども,急激に発展した物理学の理論を受け入れる事は難しかったようです.

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