中性子を発見、Chadwick ― 2008年12月22日 23時03分39秒
UK-JAPAN2008のクリスマス企画ということで,イギリスの物理学者を取り上げています.今回はチャドウィック(James Chadwick、1891〜1974年)を取り上げます.
チャドウィックはサッカーの強豪チームがある都市のマンチェスター大学を卒業後,ケンブリッジ大学において原子核の発見者であるラザフォードのもとで大学院生として研究を行いました。その後、放射線を測定するメーターに名を残すガイガーのいる、ベルリンのシャルロッテンブルク物理技術研究所で研究を続けます。しかし第一次大戦のために、1914年からの4年間、捕虜収容所に収容されてしまいます。
終戦後、ラザフォードの誘いによりケンブリッジのキャベンディッシュ研究所に戻ります。当時、ラザフォードは原子核からの放射線の研究を行っていました。この頃、原子核は陽子と電子、あるいはアルファ粒子(現在のヘリウム原子核)から成り立っていると考えられていました。ところが、他に粒子がある可能性をラザフォードとチャドウィックは考えていたようです。
キュリーの娘夫妻(ジョリオ、イレーヌ夫妻)は、中性の放射線がパラフィン箔から陽子をはじき出すという実験結果を得て、夫妻はガンマ線(電磁波)が陽子をはじき出すと考えました。ところがチャドウィックはさらに放射線を水素、ヘリウム、窒素原子に衝突させ、その動きから陽子とほぼ同じ質量の電気的に中性な粒子が存在することを確かめました。これは1932年の事でした。原子核を構成する新たな素粒子の発見という訳です。
中性子の発見により、1935年にノーベル物理学賞を受賞しました。ちなみに同年のノーベル化学賞はジョリオ、イレーヌ夫妻が受賞しています。 ノーベル賞受賞後、1936年にリバプール大学教授に就任しました。第二次大戦中はロスアラモス研究所に所属し、マンハッタン計画に参加します。中性子はアルファ粒子と異なり電気的に中性のため、原子核に作用して核分裂を起こします。核分裂を起こした原子核から中性子が放出されると、原子核は連鎖的に分裂を起こし、膨大なエネルギーを放出します。このことが原子爆弾に応用されてしまった訳です。
第二次大戦後、1948年にケンブリッジ大学に戻り、研究に再び従事しました。
チャドウィックはサッカーの強豪チームがある都市のマンチェスター大学を卒業後,ケンブリッジ大学において原子核の発見者であるラザフォードのもとで大学院生として研究を行いました。その後、放射線を測定するメーターに名を残すガイガーのいる、ベルリンのシャルロッテンブルク物理技術研究所で研究を続けます。しかし第一次大戦のために、1914年からの4年間、捕虜収容所に収容されてしまいます。
終戦後、ラザフォードの誘いによりケンブリッジのキャベンディッシュ研究所に戻ります。当時、ラザフォードは原子核からの放射線の研究を行っていました。この頃、原子核は陽子と電子、あるいはアルファ粒子(現在のヘリウム原子核)から成り立っていると考えられていました。ところが、他に粒子がある可能性をラザフォードとチャドウィックは考えていたようです。
キュリーの娘夫妻(ジョリオ、イレーヌ夫妻)は、中性の放射線がパラフィン箔から陽子をはじき出すという実験結果を得て、夫妻はガンマ線(電磁波)が陽子をはじき出すと考えました。ところがチャドウィックはさらに放射線を水素、ヘリウム、窒素原子に衝突させ、その動きから陽子とほぼ同じ質量の電気的に中性な粒子が存在することを確かめました。これは1932年の事でした。原子核を構成する新たな素粒子の発見という訳です。
中性子の発見により、1935年にノーベル物理学賞を受賞しました。ちなみに同年のノーベル化学賞はジョリオ、イレーヌ夫妻が受賞しています。 ノーベル賞受賞後、1936年にリバプール大学教授に就任しました。第二次大戦中はロスアラモス研究所に所属し、マンハッタン計画に参加します。中性子はアルファ粒子と異なり電気的に中性のため、原子核に作用して核分裂を起こします。核分裂を起こした原子核から中性子が放出されると、原子核は連鎖的に分裂を起こし、膨大なエネルギーを放出します。このことが原子爆弾に応用されてしまった訳です。
第二次大戦後、1948年にケンブリッジ大学に戻り、研究に再び従事しました。
最近のコメント