マイケル・ファラデー 22008年02月11日 17時12分47秒

昨日の続きです.
製本業が専門職だった当時,今の様に数多くの本が出版されていたわけではありませんでした.一番多く出版された(かつ,誤植が絶対に許されなかった)本は聖書ですが,他にも限られた重要な本が出版されていたわけです.この中には自然科学の本もあり,ファラデーは興味を持って読んだり,さらには載っている実験を再現したりしたそうです.また,デッサンの腕を磨いており,実験装置等のスケッチも上手にできていたとの事です.
そんなある日,ファラデーは製本業の顧客から,当時の化学の大御所であるデイヴィの科学講演の入場券を譲ってもらいました.その際にもファラデーはデイヴィの講演をデッサンし,それがきっかけとなってデイヴィと話をすることができました.その後,22才の時にファラデーはデイヴィの実験助手として雇われ,科学者の道を歩み始めました.
偉大な業績についてはまた後日.この話は教科書にでてくる物理学者小伝を参照し,他にも教科書等に出ている小話を整理しました.

現代だと,変わった経歴の物理学者はなかなかいないものです.量子宇宙論のアレキサンダー・ビレンキン(Alexander Vilenkin)が変わっていますが,ここまでではないです.
ビレンキンは旧ソ連で生まれて大学を卒業したものの,国家への協力を拒否したために KGB にブラックリストに入れられて,大学院に入れなくなってしまいました.そして陸軍に徴兵され,その後は動物園の夜警の仕事をしていました.その間も物理学の研究を続け,アメリカに移民しました.現在はタフツ大学の教授として,活躍しております.