日本初の商用メールマガジンの話(その1)2009年03月22日 15時01分08秒

皆さんの生活で,メールマガジンを1日どれくらい受信していらっしゃいますか?
おそらくゼロという方は非常に少ないのではと思います.
メールマガジンは,今や新聞や雑誌と並ぶメディアにまで成長した感があります.今日は,メールマガジンが初めて発行された頃の話を振り返ってみようと思います.

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アスキーを辞めた方々がインプレスという会社を立ち上げ,様々な出版物を発行していました.1995年頃は月刊誌のインターネットマガジンや,「できるシリーズ」が売れ筋だった様です.当時はWindows95発売の狂想曲の中にIT業界はあり,インターネットはまだそれほど普及しておりませんでした.
しかしWindows95の爆発的な売れ行き等で,インターネットの利用は飛躍的に伸びるだろうという予兆はありました.この動きを報じるには月刊では遅い,週刊でもまだ遅い,それでは日刊で報じるのはどうだろうか.その報じ方も印刷物を出版するのではなく,メールマガジン(当時は「電子メール新聞」と読んでいました)として読者に送信していくのがいいのではないか.この考えから発行されたのが,日本初の商用メールマガジンであるInternet Watchです.この考えを進めたのは,井芹昌信氏(現 (株)インプレスR&D代表取締役社長)と山下憲治氏でした.山下憲治氏は既に「できるシリーズ」の生みの親として大活躍していました.
メールマガジンの発行には,編集者が必要です.創刊当時は井芹氏が編集長,山下氏が副編集長となり,インターネットマガジンの編集者の一部が移籍して,情報収集と執筆にあたりました.ただ,それだけでは世界中の情報を収集するのが追いつきません.当時は今のような検索ロボットが発達していなかった時代です.そこで,Watcherと名付けられた外部記者を雇い,情報提供,記事執筆に対して原稿料を支払うという形にしました.活動度合いに応じて契約解除することがあり,人数の増減は大きかったのですが,当初は50名,最大時は70名ほどの方が外部記者として働いていました.今では,ライブドアニュースやオリーブニューズの市民記者でも,同じような流れになっているのではないでしょうか.ただ,Watcher は特技がある分,個性も強い人が多かったように思います.
私はインターネットマガジンの読者投稿で,自分で有用だと思った情報を時々送っていました.そのため,Internet Watch を創刊するということで,1995年10月に突然電子メールをインプレスから受け取り,呼ばれました.そして,協力を頼まれました.情報系でない大学生に声をかけるところが少々不思議でしたが,協力することにしました.そして,その他にも編集部がこれはと思う人たちに協力を呼びかけて,1995年12月1日に創刊準備号が発行されました.