ダーウィン展その32008年06月01日 19時25分55秒

中世ヨーロッパでは,キリスト教の教会の力が絶大でした.天文学では「天動説」を唱え,生物学では「創造説」を唱えていました.これに異議を唱える事は非常に危険な事でした.天文学ですと,
  • コペルニクス:死後に「天球回転論」を出版.閲覧一時停止の措置を受ける(1616年に解除).
  • ジョルダーノ・ブルーノ:火あぶりの刑を処される.
  • ガリレイ:地動説を捨てる事を宣告される.
というような状況です.
ダーウィンは慎重に検証を重ね,着想から20年を経て発表しました.実はこのとき,アルフレッド・ラッセル・ウォレス(Alfred Russel Wallace)も進化論に至っており,学会では同時の報告になったという事です.発表後の反響はすさまじく,賛否両論が入り交じるものでした.猿の胴体にダーウィンの顔をつけたような風刺画も描かれたそうです.

この進化論,日本ではすんなり受け入れられたそうです.キリスト教は『創造』が教義の一つであるのに対し,仏教は『輪廻転生』で人間だけを特別視しないという下地が会ったからかもしれません.なお,進化論を日本に持ち込んだのは,大森貝塚の発見で知られるエドワード・モースだそうです.

ダーウィン展の最後の見所は,晩年の書斎を復元したところです.愛用の椅子,杖,机などが設置された部屋が復元されており,ダーウィンは椅子に板をおいて物書きをしたそうです.また,後半生はロンドンから離れた静かなところで暮らしていたということで,産業革命による社会の急激な変化に巻き込まれるという生活でもなかったようです.

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