日本初の商用メールマガジンの話(その6)2009年03月29日 22時20分18秒

Internet Watchは創刊して前述のようなネット上の問題を検討したり,あるいは配信トラブル等も発生したりしましたが,徐々に落ち着いて発行できるようになりました.1998年のある時,ふとした連絡が来ました.編集長の山下氏が病気で入院との事.今まで編集作業があまりに過酷で体調を崩されたのだろうと,最初は思いました.ところが入院がかなり長引き,退院した時は以前は丸々とした体型がげっそりとやせていました.ただ事ではありません.
その後,体調の問題やECマーケティングに挑戦するということで,山下氏はインプレスダイレクトに移籍しました.
私は山下氏の大きな影響を受けて,専門分野の研究を大学院で進めながら,情報系の事柄にも詳しくなっていきました.「論理的に明解な説明をするにはどうすればいいのか?」という点でも,大きく影響を受けたと思います.
2000年夏,私は修士論文の成果を取りまとめて,初の海外での国際会議発表に出かけます.行き先はイタリアのローマです.この頃からすでにノートPCを持ち込んで,ローミングサービスを利用してメールのチェックを行っていました.日本に共同研究のネットワークも出来始めていて,情報交換が必要だったからです.
7月8日の朝,ローミングサービスを使ってメールを受信していると,とんでもない見出しが飛び込んできました.それは訃報の二文字でした.開いてみると,山下氏がわずか34歳で亡くなったとの知らせでした.あまりにも早い死に大変な衝撃を受けました.その直前にもメールのやり取りがあったと思うので,にわかに信じられませんでした.何はともあれ,葬儀には駆けつけなければならない状況でしたが,私は出張中でそれはかないませんでした.その日の夜,同僚が相部屋にも関わらず,ベットで泣きじゃくった事を覚えています.
山下氏の思想は,Ken's homepageで今も保存されています.永遠に更新されないページですが,どういう人物だったかという一端を見る事が出来るでしょう.
その後に拝見した追悼文archive.orgの保管記事)により,直前の状況が分かってきました.家族を愛し,仕事を愛し,インターネットの遠い将来を見据えて活動していたのだと思います.
現在,インプレスグループでは山下氏は特別功労者として会社概要に役員とともに列挙されています.
私は,もうすぐ山下氏が亡くなった年を追い越します.今の私の姿を山下氏が見たら,どう思うでしょうか.「そんなに進路をフラフラしていては,だめじゃないか」と叱り飛ばされるかもしれません.一日一日を怠惰に過ごす事無く精進しなければと思う次第です.

最後に山下氏に関する記事を列挙します.

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